見沼たんぼの続きです。
見沼たんぼは江戸時代に干拓されたものですが、干拓のときに、排水河川として芝川が、そしてその東西に2本の用水路が通じました。2本の用水路は見沼代用水といい、それぞれ東縁(ひがしべり)・西縁(にしべり)と呼ばれています。 見沼通船堀というのは、東西の見沼代用水路とそれに挟まれた芝川とを船で結ぶために掘られた2本の水路のことです。ただ、用水路と芝川には、3メートルもの水位差がありました。そこで、東西両方の堀に2ヶ所ずつ関を設け、水位を調節しながら船を進ませる方法をとりました。有名なパナマ運河と同じ方式の我が国最古の閘門式運河です。 現在は、見沼通船堀に沿って遊歩道があり、静かに流れる通船堀の水を眺めながら、活気あった当時の様子を考えてみるのも楽しいものです。水位調節用の関も復元されていて間近に見られるばかりか、時折、開閉実験が行われているようです。 (参考:さいたまの歴史散歩http://homepage3.nifty.com/hoshino/Tsusenbori/Tsusenbori.html) こういう農村地帯の歴史的資源も、立派な農景といえるでしょう。この閘門はなかなか珍しいものと言えるかもしれませんが、小さな石橋とかお地蔵さんとか分水路とか、そういうものが見直され大切にされるというのはうれしいものです。昔の人の息遣い、知恵と叡智が見えてきてとても楽しいものです。「よ~こんなこと考えたなぁ」と思いつつも、私のような普通の脳みそでも理解可能であることがうれしかったりします。だって、今の頭のいい人たちの知恵と叡智って、理解不能なことが多いんだもん。それが面白いこともあるんだけどね。それと、昔の人たちが考えたことって、見事に自然の力なんかをうま~く適度に活用していて、そんなところは今の世に見直すべき考え方だと思います。 ↓中央の芝川と、東西の見沼代用水を結ぶのが見沼通船堀です。 ↓東縁に復元されている堰です。開閉の実演実験も時々行われています。 ↓2つの堰の開閉で水位を調節して船を通すわけです。 ↓その昔通船を取り仕切っていた、鈴木家の住宅です。 ↓東縁用水付近にあった休憩所。サイクリングの人々に利用されています。たいした建物ではないけれども、洗面所とトイレが別になっているあたりは嬉しいつくりですね。 ↓近くにあった浦和の民家園。映画のセットのようです。 ↓付近の田んぼで見かけたカモさんの行列。 #
by mitsufumi_okada
| 2006-09-11 20:08
| 東京ポタリング
埼玉県の川口、浦和、与野、大宮のあたり一帯に広がる、見沼たんぼに行ってきました。東京じゃないけど、東京からサイクリングに行ける、ちゅうことで、東京ポタリング。ここは、沼地だったところを、江戸時代に用水・排水河川を通して干拓・田圃化したところです。埼玉県HPによると、「東京から20~30km圏に位置し、南北は約14km、外周は約44km、面積は約1,257.5haとなっています。各市ごとの面積は、さいたま市1,199.4ha ( 旧浦和市656.1ha、旧大宮市543.3ha ) 川口市58.1haとなっています」ということだそうだ。
ただ、昭和40年代には湿田の畑地化がなされ、現在は畑、特に植木畑がほとんどです。なので、一面のたんぼの中を颯爽とサイクリング、というわけにはいきません。が、いろんなものが植わっている中、延々と緑色の中を走り続けることができる、面白い場所です。アップダウンもないので快適。でも、真夏の太陽は暑かったぁ~~。 行政では、この見沼たんぼの環境的重要性・水防のための遊水地機能などを重視し、耕作継続が困難となった圃場を公有地化して農業体験等に活用するなど、見沼たんぼの保全、土地利用転換や開発の抑制に取り組んでいます。 さて、そんな見沼たんぼの中でも、さいたま新都心に近い北端のあたりには、水田がまとまっています。そして、その縁に高速道路が先月開通しました。その建設にあたっては、色彩や照明の設置などにおいて、環境や景観に配慮した工夫がなされています。また、高架下の空間は、来年の完成を目指してビオトープ化されることになっているそうです。 この広々とした空間、ぜひとも末永く残していってもらいたいものです。東京の程近くにある広々とした田園、大変貴重ですし、これからますます、いろんな活用がなされるでしょう。ちなみにここには、江戸時代の干拓事業における用水の遺構など、歴史的な資源もみられます。それについては、また次回。 ↓見沼たんぼの田園。向こうに見えるのが、新しい高速道路の高架とその奥にさいたま新都心。高架道路も風景に馴染んでいるし、田んぼとビルの組み合わせがなかなかグッドだと思いました。 ↓高架橋は、景観に馴染むように、スチール部がダークグリーンに塗られています。形も大変すっきりしていますね。桁下の空間は、ビオトープ化されるらしい。 ↓高速道路上。照明柱がありません。高さ1mの壁高欄上に、進行方向を照らす照明ビームを設置し、外部に光が漏れて環境に影響を与えないように配慮したそうです。 ↓ここにもいました、リアルかかし。 ↓見沼たんぼ一帯は、ほとんどが植木畑です。 ↓木陰の下、気持ちよさそうにトラクターが佇んでいました。 #
by mitsufumi_okada
| 2006-08-22 10:40
| 東京ポタリング
最近、理由あって生態学の勉強を少ししている。この生態学のテキスト的な書籍のひとつに、三島次郎先生による「トマトはなぜ赤い」という本がある。
「トマトはなぜ赤いのか?」という質問に対してどう答えるか。 「それは、トマトの表皮にカロチノイド化合物である赤い色素が含まれているから」。これは、極めて直接的な解答である。 それとは別に、こんな解答もある。「鳥などの動物の目に付きやすくすることで、実を食べてもらい種子をより多く、広く散布させるため」「赤く変化するのは、種子が完熟して、もう食べてもよいというシグナルである」。これは、「なぜ」「何のために」という究極的な要因に対する解答。 前者の解答は、トマトだけで完結している。一方後者は、鳥などの動物という他者との関係性の中で成り立つものである。我々生き物の世界は、必ず他者との関係性の中で成り立っているものなのだよ。その関係性を解き明かすのが、生態学なのだよ。。。要はそういうことだ。 これは、なんにでも成り立つ話だと思った。我々の社会の話にしろ、まちづくりにしろ、景観にしろ。そんな時に頭に浮かんだチャーリー師匠の名言。なんも考えずに笑っていたけれども、実はこんな深い意味が込められていたのか。と勝手に考えたのでした。 ↓チャーリー浜師匠の深い深いお言葉 #
by mitsufumi_okada
| 2006-08-15 12:17
| 農
もう1ヶ月前になるが、赤坂のとあるお店にて、4 Vocals Super Session なるジャズライブに出かけた。30代くらいのボーカリスト2人に、大ベテランのボーカリスト2人、あわせて4人の女性ボーカリストのスーパーセッションである。とにかくとにかく楽しかった。
さて、この時、印象に残ったこと。そのひとつに、大ベテラン2人の余裕と貫禄がある。気張ることなく、余裕の雰囲気で、聴衆を見事に引き込み、楽しませ、感動させるあの見事な貫禄。 自分も齢30を越えているのだが、普段の仕事では、それなりに自分で仕事をまわす立場にある(業種によって年齢による役割の段階に違いはあるだろうけれども)。クライアントの要望に対して、自分で判断してそれなりに応えることができる。しかし、我々より15年ほど多くキャリアを積んでいる上司たちには適わない。これが最近みょうに歯がゆく、悔しいのだ。 別に若い頃は悔しさがまったくなかったというわけではない。しかし、「今は追いつけないのは仕方がない。でも、今の上司と同じ年齢になったときに、今の上司以上の仕事をしよう」という考えがあった。しかし、今はそういう気分にもなれない。仕事に対する自分の「思い」が徐々にしっかりしてきたのに対してそれでも上司の域に到達できない歯がゆさのようなもの、(少なくとも上司よりは)若い感性で新たなものを生み出さなければならないという、焦りのようなもの。そんなものを感じてしまう。 ただ、その一方で、なかなか追いつけない先輩がそばにいること、これは大変うれしいことだとも強く感じている。 ・・・そんな思いが、この日の4人のボーカリストの姿に重なった。 若い方の2人のボーカリストのパフォーマンスが悪かったなんてことはまったくない。自分はこのうちの1人の大ファンで、こんなに素晴らしいボーカリストはいない!と惚れ込んでいる。それでも、それを凌駕するような大ベテラン2人の貫禄。当たり前っちゃ当たり前のことだけれども、なんだかちょっぴり悔しい、、、でもなんだか嬉しい、、、そんな妙な印象が残ったのでした。 ↓H18.7.8 越智 順子〔vo〕 安則"CHAKA”眞実〔vo〕たなか りか〔vo〕 溝口 恵美子〔vo〕 @B♭ #
by mitsufumi_okada
| 2006-08-02 18:34
| まちづくり
う~ん、粗放管理のベランダ菜園ってのは、やっぱり難しいもんだね。といいつつ、それなりに収穫できているので、自分としては結構満足。ベランダで、薬を使わなくたって、それなりに食えるもんができるのだ。とりあえず、品目別の状況は。。。
トマト:大玉トマトは、水遣りをケチり過ぎて、ボロボロになってしまった。と思いきや、真面目に調べてみると、どうやら青枯れ病にかかっていたみたい。そんな中、1個だけ尻ぐされもなく収穫できたのだが、味はなかなかのもんだった。現在、上のほうをぶった切ってしまい、わき芽から再度伸ばして見ているが、これもアカンのかなぁ。 ミニトマト:至って順調だ。20個くらい食ったかな。味は普通。やや皮が厚いなぁ。 ズッキーニ:一個も実がならぬまま枯れてもうた。畑ではほとんど勝手にできてたんだけどな。 ナス:最初の実は出来が余りよくないので、鉢の中に切り落とした。今後に期待かな。たぶん順調。 ピーマン:一株から3個収穫し、味は良好。しかしその後は、アブラムシがどっさりつき、それが原因か一個も実がならなかった。さすがにもうアカンやろと思い、抜いてしまった。 シシトウ:ピーマンと同じ状況。一株から2個しか獲れんかった。 枝豆:カメムシもつくことなく、一応できたけど、実つきが悪かった。収穫済み。 人参:葉っぱが黄色くなってきたため、これ以上よくならんかなと思い、「プチ人参」のような状態で全部収穫した。味は青臭く、ちょっと甘みがあり、悪くなかった。 小松菜:さすがに7月にはいると虫にボロボロにされ、消滅。ただしこれは完璧に予想通りの結末。 とうもろこし:現在実が膨らんできているところ。ただし、背丈が100cmたらずで、一株にひとつしか実がついていない。どうなることやら。 不調な部分の原因は、土のせいか水遣りのせいか、それとも5月から約3ヶ月続く長雨と日照不足のせいか、ようわかりません。でも、思ってたよりはうまいことできた感じかな。下手すりゃ全部枯れるかと思ってたし。来年の春植えは、手間があまりかからない人参・枝豆あたりを増やしてみようか。あと、トマトも何株かに増やしたいところ。ピーマン・シシトウは、パスするか、一株程度で再挑戦するか、、、ってところかな。その辺は、梅雨明け後の状況も見て考えようと思う。 必ずしもいい成績ではないけれども、冒頭にも書いたとおり、それなりにはできている。ちょっと真面目にやれば、売ってもいいようなもんができそう、とさえ思えます。 で、収穫済あるいは引っこ抜いた関係で、空いた鉢には、9月頃から秋冬野菜の植付けをしようと思っている今日この頃なのでした。 ↓2006/07/14の収穫物。人参はプランター半分から、枝豆は2株から、いずれも全収穫である。人参は引き続き秋に向けても種を蒔いて育てるつもり。ってそういや、秋の人参は、もうはやいとこ蒔いとかなあかんかったかな。。。 #
by mitsufumi_okada
| 2006-07-25 22:36
| 農
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