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農業の真面目な話

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ちょっと真面目に考えてみたくなった。
つまんないですよ。

農業の話。

民主党が農業政策を参院選の争点にして以来、
最近、農業問題がよく取り上げられる。

金曜日の夜、NHKで農業に関する番組をやっていた。
番組冒頭の問題提起は、
耕作放棄地がどんどん増えて
現在38万haを超える現状の紹介から始まった。
そして、番組後半の現状打破の部分では、
大規模化によるコスト削減、ITの駆使による栽培管理、
大手飲食店との提携による販路の安定化など、
さまざまな工夫で生き残りをかける生産者を紹介し、
農業には可能性もある!という結びだったと思う。

でも、これ、ずれていると思う。
さまざまな工夫で生き残りをかける。
競争に生き残る。
これはとても大事なことだと思う。
でも、競争に勝つ人がいるということは、
競争に負けて淘汰される生産者、地域、農地も
裏で同時に発生するということだ。
冒頭の問題提起にあった耕作放棄地の問題が、
これで解消されるのだろうか?

そもそも、農業というのは、自分たちが食うもんを作る、という
極めて当たり前の生業だ。
いきなり競争と言われても、
全国の多くの零細農家は困ってしまうのではないか。

日にち変わって、土曜日の夜にも
NHKで農業に関する番組をやっていた。
こちらの番組では、食料自給率39%という問題提起から始め、
生産者および消費者のそれぞれの立場から論じる、
という構成になっていた。

録画してあるが、まだちゃんと見ていないので
間違っているかもしれないが、
一部を見た限りでは、議論が全く噛み合っていない印象を受けた。
討論参加者の問題意識がバラバラだからだ。
消費者の選択性の問題、
食の安全性の問題、
FTAやEPAといった他産業も含めた輸出入の問題、
農山村を中心とした地域の衰退の問題、
全部が同時に一緒くたにごちゃごちゃ議論されているから、
噛み合うはずもない。

その大前提として、農業を産業と捉えるのか、
それとも文化・生活・環境のための活動と捉えるのか、
その部分もごちゃごちゃだ。

テレ朝に出てくる田原総一郎は、
政治家と農業問題を論じる際に、必ず
「あなたの○○党は農業を産業と捉えるのか?」
と質問する。
ここの仕分けがまず重要だと思う。

ここから先は個人的な考えだが、、、

まず、産業としての農業の問題。

農業の輸入自由化といった問題についてだが、
国産と海外産を選択するのはあくまでも消費者だと思う。
国産を選択する消費者が多ければ、自給率も上がる。
日本の農業を守りたいのであれば、
消費者が、多少高くても、国産を購入するという、
価値観を広めることが必要だと思う。

ただ、事はそんな綺麗ごとだけでは済まない。
かくいう自分も、カリフォルニア米でも中国米でも、
安いお米が店頭にあれば、そっちを買うだろう。
自分みたいな安月給の人間に、高い国産は選択できないのが現実だ。
選択肢がほしい。

それでも国産を選択させるためには、
安い国産、あるいは安全性や鮮度の高さなど付加価値により、
国産を選択させるようにしなければならない。

そのための方策には、2つの方向性があるだろう。

1つは、これは耕作放棄の問題も併せて解消するものだが、
「株式会社日本国農業」のように、
日本国内の農産物を一律化することだ。
生産コストのかかる中山間地の農産物も安く販売し、
その分の赤字分は、生産効率の良い地域の農産物の価格に上乗せし、
補填する。
さらに民主党の言うように、生産農家一軒一軒に所得保障をする。
つまり、国内での競争を一切排除し、
国産の一律化を図って輸入農産物に対抗するというものだ。
しかし、これは今や現実的ではない。

そうすると、もう1つの方向性となるのが、
各生産者による付加価値創出等の努力である。
価格(コスト削減・効率化)、安全性、鮮度保持、一定の販路獲得など、
NHKの番組でも取り上げられていた努力を続ける、広めるというものだ。
農業行政にはそのサポートが求められる。

ただ、前述のとおり、これで耕作放棄地問題が解決するとは思えない。
自由主義経済のもとでは、淘汰される部分が生じる。
その対応が必要だと私は思うが、
その必要性が共有されていないのが現状ではないか、
そこが最も大きな問題なのではないかと思う。

私は農村の風景が大好きである。
そういう風景を残したいと思う。
耕作放棄地が増えれば、その風景は壊れる。

冒頭の写真は、筑波山の麓である。
田園の中の濃い緑の部分は、耕作放棄地である。
茨城県は農業県であり、放棄地は少ない地域ではあるが、
仮に、全部濃い緑の放棄地になったら?

それに、環境も重要だと思う。

コウノトリはなぜいなくなったか。
戦後の湿田の乾田化や農薬散布などの
農業効率化の影響が大きいといわれる。

“夕焼け小焼けの赤とんぼ”と歌われる
アキアカネはどこで産卵し、どこで羽化するか。
カエルは?メダカは?どこで生活する?
メダカの学名のOryzias latipes は、
『稲の周りにいる足(ヒレ)の広い魚』という意味である。

これ以上例を挙げていたらキリがない。

こういう生き物の環境としては、
戦後の圃場整備や農薬散布の影響の点も問題視されているが、
そもそも農地がなくなったら、話は終わりである。

こういう問題を、どうにかするべきなのか否か。
それをまず共有することが必要だ。
実は農業関係のコミュニティに問題提起をしたこともあるが、
「生産できなくなった農地はそのまま自然に還ればいい」
という生産者のご意見も少なくなかった。
大多数の国民が「風景?環境?そんなのどうでもいいよ」
と言うならば、仕方ないかもしれない。

どうでもよくないのなら。
これは農業を産業と捉えていては解決不能な気がしている。
求められるのは、産業としてではなく、
文化・生活・環境のための農業と言う視点である。

この場合には、
必ずしも生産物の自由市場流通を主目的としない農地管理、
さらに場合によっては食糧生産も行わずに
農地に類似する環境を保持するような農地管理
というものができるシステムを作らねばならないと思う。

行政的には、農林水産省よりは、
国土交通省や環境省の範疇に入ってくるかもしれない。
その縦割りがまず最大のネックかもしれない。

そのシステムの内容までくどくど書いているとさらに長くなるが、
要するに、
産業としての農業の育成と言う視点と、
文化・生活・環境のための農地管理と言う視点の、
2本立てで考えていかないといけないのではないか、
と考えている次第である。
そこを整理し、問題点とテーマを峻別して議論していかないと、
収拾はつかないのではないかと思う。

こんな拙文をここまで読んでくださったお方は、
とっても奇特なお方かもしれませんね。
感謝します。
by mitsufumi_okada | 2007-10-21 16:40 |


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